メンデルの法則をめぐる論争について (4) - 連鎖および近年のメンデルに対する評価

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前回まで3回にわたってメンデルの法則をめぐる論争について取り上げた。この話に関連してよく取り上げられる話題はもう一つある。

それは「メンデルは連鎖を見つけられたのではないか?」というものだ。

メンデルは連鎖を見つけられなかったのか?

メンデルは各形質がそれぞれ独立に分離の法則に従うこと(独立の法則)について比較的強い調子で述べている。

多数の、根本的に異なる形質を併せもっている雑種の子孫は、各対立形質1組に関する展開級数を結合して得られる組合せの級数の項として表される。これは同時に、1組の対立形質の雑種におけるふるまいは、両親のそれ以外の形質の違いと無関係であることを証明する。

(メンデル著, 岩槻邦男・須原準平訳『雑種植物の研究』)

メンデルの時代には当然分かっていなかったことであるが、同一染色体上に乗っている遺伝子はある程度同調して遺伝する。これが連鎖である。連鎖は独立の法則に反する結果をもたらす。つまりメンデルの記述は連鎖している遺伝子間に対しては正しくないのである。

ただし、同一染色体上に乗っていなければ連鎖は発生しない。さらに、同一染色体上に乗っていても位置が離れていれば組み換えという現象によって連鎖の程度が弱くなる。つまり、メンデルが扱った形質の遺伝子が別々の染色体に乗っていたり、同一染色体上でも距離が離れていたりという事情があれば、連鎖に遭遇しなかったということは十分想定できる。

メンデルは連鎖に偶然遭遇しなかったのか、あるいは遭遇したのに無視をしたのか…。

これを判断するポイントは3つある。

  1. メンデルが調べた表現型に対応する遺伝子のうち、同一染色体上に乗っているものはあるか。
  2. 同一染色体上に乗っている遺伝子があるとして、距離は近いか。
  3. 距離の近い遺伝子の組み合せがあるとして、その組み合せでメンデルは実験をしたか。

このような文脈でいう「遺伝子間の距離」としては、物理的な距離よりも「この遺伝子間でどのくらい連鎖が起こりやすいのか」を指標とした距離が望ましい。そのような距離概念として連鎖を打ち消す現象である組み換えの起こりやすさを利用したものがある。ある2つの遺伝子の間で平均すると1回組み換えが発生するとき、その間の距離を1M(モルガン)と定義する。通常、その1/100の単位であるcM(センチモルガン)が使われる。組み換えは偶然に支配される現象なので、100cM離れていたら必ず組み換えが起こるという意味ではない。さしあたっては値が大きければ連鎖を発見することはほとんどできないと考えておけば良い。

連鎖の件について「よく取り上げられる」と述べたとおり、既存の説明がある。これにはそれほどバリエーションは無い。たとえば、日本語のメンデルについてのテキストとして比較的新しい中村(2016)では次のような説明をしている。

  • 第1染色体上でI(種子の色)とA(種皮の色)が連鎖。
  • 第4染色体上でV(さやの形)、Fa(花序)、Le(草丈)が連鎖。
  • IAの距離は204cM
  • FaLeの距離は121cM
  • VLeの距離は12cM

これを見るとVLeの距離が近く、連鎖に遭遇しそうに見える。しかし、遺伝子とメンデルが用いた表現型の対応は必ずしも明確ではない。別の遺伝子が似たような表現型をもたらすという例はある。実際、さやの形は第6染色体上のPという遺伝子に支配されている可能性もあり、メンデルが用いた材料の遺伝子がこちらであったとも考えられる。ゆえに、中村(2016)では「断言はできないが、おそらくこの p であったと考えることは十分可能である」と考察している。

ところで、cMで表現した遺伝子間の距離に基づいて遺伝子をマッピングしたものを連鎖地図と呼ぶ。上記の議論は、Blixtが1972年に発表した連鎖地図を根拠としている。これはBlixt(1975)、Novitski and Blixt(1979)、Rytting(2001)、Franklin et al.(2008)といった多くの文献で根拠として挙げられている。

しかし、前回紹介したWeedenは再度この連鎖の話題を取り上げている。なぜかというと、肝心のBlixt(1972)の連鎖地図が誤っているのである。1984年には分子マーカーを用いた実験ですでに異なる結果が得られており、1998年にはWeedenほか複数の研究者の共同研究により現在コンセンサスの得られている遺伝地図が完成している。したがって、1998年以降の説明においてもなおBlixt(1972)が根拠とされているのは問題である。

新しい連鎖地図によれば、メンデルの取り上げた形質のうち連鎖する可能性のあるのは次の2つの組み合わせである。

  • 第5連鎖群でR(種子の形状)とGp(さやの色)が連鎖。距離は40cMをしばしば超える。
  • 第3連鎖群でV(さやの形)とLe(草丈)が連鎖。距離は5cM程度。

連鎖群というのは連鎖する可能性が認められた遺伝子の集まりを表す表現で、調べた遺伝子やマーカー配列が十分に多ければ染色体と1:1にする。逆に調査した遺伝子数が少ない段階では染色体と1:1に対応しない場合もあるが、さしあたってこれはこのさきの議論に影響しない。RGpについては具体的な調査が行われた事例が長田(2017)に紹介されている。それによれば、イギリスのジョン・イネス研究所の保有株JI15とJI399の交配において組み換え価は36%(=36cM)とされ、F₂における分離比は9.6:2.42:2.4:1であった。メンデルがこの組み合せで試験を行ったかは不明であるが、偶然の産物として見逃していたとしても不思議ではない。

一方、VLeであるが、これについてはもし実験が行われていたのであればほぼ確実に連鎖に遭遇していたと考えられる。なお、メンデルの扱った系統でくびれを司る遺伝子がPで合った可能性をWeedenは否定している。くびれはさやの厚膜組織の強度低下により引き起こされるが、VPではそのパターンが異なる。Pでは厚膜がわずかに多く、はっきりとしたくびれが生じずに判別が不明瞭となる場合がある。しかしメンデルは「種子の間が深くくびれ」という表現をしており、判別が困難になるという記述はしていないことから、Pの可能性は低いとしている。

残る問題はVLeの組み合わせにおいてメンデルが実験を行っていたかである。メンデルはCarl Nägeliにあてた2通目の手紙の中で、「くびれたさやをもつ背の高い系統」と「アーチ型のさやをもつ矮性の系統」の雑種について言及している。実験は行われていたのである。この組み合わせで実験をした場合、連鎖の影響は二重劣性(くびれたさやをもつ矮性の個体)の出現の欠如という形で現れるはずである。メンデルが実験をしたF₂の集団サイズを仮に40〜120(2〜3個の種子を播種したと仮定)とすれば、連鎖が無ければ二重劣性が3〜8個体期待できるところ、連鎖があるので実際には0〜1個体しか出現しない。メンデルは少なくともF₅まで試験をしているはずなので、二重劣性が連続して欠如していることに少し注意を払うべきであった。これに注意を払わなかったのは、メンデルが事前に理論(独立の法則)を構築しており、それを強く信じていたのだということが考えられる。

メンデルには「動機」があったか

前回説明した事項や連鎖の話から分かるように、メンデルは多かれ少なかれ理論から外れるデータを除外・省略した可能性が高い(それが捏造とまで言えるレベルのものであるかどうかはさておき)。メンデルがそのような操作をしたくなるような何らかの動機があったかどうかについて、Weedenは次のように考察している。

これはFisherも指摘していることであるが、メンデルの発表はもともと口頭発表されたものであり、デモンストレーションとしての意味合いが強かった。したがって、理論をあいまいにするような結果はなるべく除外したかったであろうと考えられる。

そのうえ、当時の生物学会はメンデルの説を受け入れるための十分な準備ができていない状態にあった。たとえば、ウィーン大学の教員認定試験でEduard Fenzlによる口頭試問の際に議論となり、冷静を失ってしまったという話が伝わっている。Fenzlは「植物の遺伝形質は花粉に依存する」と信じていたと孫のErich Tschermak(「再発見」のTschermakと同一人物)が語っており、これが影響していた可能性が考えられている(長田、2017)。メンデルと手紙を交わしていたCarl Nägeliもメンデルの実験の価値をよく理解しなかった一人とされることが多い。メンデルは自分の理論がよく理解されない場面に何度も遭遇していたのである。

だとすれば、理論の説明はよりシンプルであるべきと考え、あいまいな表現型を無理やり分類したり、分離比の偏りを省略したり、連鎖に注意を払わなかったりといったことをする動機があったとしても不思議ではない。また、メンデルの論文を見ると分かることだが、実験の結果はかなり要約されたデータとして提示されている。例えば「22品種を選んだ」とは書いてあるが、具体的にどのような形質をもつどの品種をどのように交配したかは記述されていない。メンデルの記述スタイルにはそもそも省略が多いのである。

とはいえ、エンドウ形質の遺伝についてのモデルを組み立て、他に類を見ない粘り強さでこれを検証したのはメンデルの才能にほかならない。しかし、メンデルを遺伝学の祖とみなせるかどうかは、まだ議論の余地がある。我々はみなそれぞれは「公平な観察者」にはなりえず、科学が自己修正をできるのはコミュニティとしてのみである。「まだ論争を終わらせるときではない」。

としてWeedenは締めくくっている。

そもそもメンデルの論文は遺伝の法則を調べたものであったか?

私はこの話を調べ始めるまでこの説は全く知らなかったのだが、1979年ごろからの流れとして、メンデルについての「通説」、すなわち「メンデルは『雑種植物の研究』により遺伝の法則を明らかにしたが、長い間無視された」という説を否定する発表が相次いでいるらしい。これについて日本語での解説はあまり多くないが、比較的近年の総説として松永(2016)がある。

www.jstage.jst.go.jp

この話題については正直あまり調べられていないので、記事の概要を紹介するにとどめたい。

  • メンデルはそもそも自身の研究を18世紀以来続いてきた植物雑種の研究の系譜と位置づけていた。
    • ここでの主題は「雑種による新種形成の有無」にある。
  • メンデルは親の形質が変わることなく子に伝わることを特に強調したが、これはダーウィンの「種の起源」で交雑が変異を誘発すると記述していることへの反論である。
  • メンデルは論文の後半で環境要因が変異を引き起こすことを強く否定しているが、これもダーウィンが「種の起源」で環境要因も変異の原因になりうると主張していることへの反論とみなせる。
  • すなわち、メンデルは雑種による新種形成を主張し、ダーウィン的な進化論を否定したかった。
  • メンデルは粒子的な遺伝的要素を仮定などしていない。ホモ接合体をAAやaaではなくA、aと一文字で表しているのは省略ではなく、メンデルがあくまで形質に注目していたことを反映している。
  • メンデルの論文は遺伝の論文ではないのだから、1900年まで無視されたいわゆる「ロング・ネグレクト」問題はそもそも問題として成立していない。1900年以前には、伝統的な雑種研究の論文としてそれなりの扱いを受けていた。
  • 1900年に注目されたのは、ド・フリースに先を越されたコレンスが先主権を打ち消すためことさらにメンデルを讃えた影響である。同じころ、ベイトソンも自説の根拠としてエンドウ論文を利用した。

おわりに

この話を調べようと思ったのは、次にまとめられている「メンデルが捏造は否定されているらしい」という話が発端であった。

自分も「メンデルのデータは何かできすぎているらしい」という浅い認識でいたので、これは良くなかったと反省したことを覚えている。しかし、上記まとめを読んでも、まとめで紹介されている文献を流し読みしても、具体的に何が問題で何が否定されているのかイマイチ釈然としない。誰も具体的な説明をしていなくてモヤモヤする…。

ということでずっとモヤモヤしていたのだが、数ヶ月前に思い立ってモヤモヤを晴らすべく腰を据えて調べることにした。結果としてはご覧の通りモヤモヤは悪化の一途である。「メンデルが捏造は否定されている」なんてとても言い切れないし、フィッシャーの指摘は割と的を射ていたし、「論争の終わり」なんて名前のついた本はちっとも論争を終わらせられていない。それに加えてそもそもメンデルは遺伝の研究のつもりで論文書いてないみたいな話も出てきた。

この記事は一旦ここで区切りとするが、幸いにも論争はまだ終わっていない様子である。もう少しこの話題を追いかけていきたい。

参考文献