メンデルの法則をめぐる論争について (1) - フィッシャーによる2つの指摘

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「メンデルのデータには捏造があるのではないか」という説は統計学の読み物や教科書にしばしば登場する。多くの場合、これはR. A. フィッシャーによる指摘として紹介される。例として『背信の科学者たち』の一節を次に引用する。

しかしながら、メンデルのデータが極めて正確であったため、一九三六年、高名な統計学者であるロナルド・A・フィッシャーは、メンデルの方法を綿密に検討することにした。その結果はあまりにもうまくできすぎていた。フィッシャーは、精力的な実験の陰に何かがあったにちがいないと結論し、「すべてではないにしても、ほとんどの実験データがメンデルの期待に非常によく一致するように曲げられている」と書いている。

(ウイリアム・ブロード, ニコラス・ウェイド著, 牧野賢治訳 『背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?』)

日本語のテキストにおける取り上げられ方は似たようなもので、メンデルにとって不利な記述であるものが目立つ。そのような状況のなか、「『メンデルが捏造』はすでに否定されているようだ」ということが数年前に少し話題となった。

ただ、結局のところ論争は終わっているのか、結論はどうなっているのかという点が当時はよく納得できなかった。結局そのときはきちんと調べなかった。この件について日本語で解説された資料があまりに少なく、かといってゆっくり英語文献を調べる気にもならなかったというのもあった。

最近また少しこの話が気になってきたので、いくつかの文献をある程度真面目に読んだ。そこで、ここまで理解したことをまとめた。長くなったので、何回かに分割して説明する。

メンデルの実験とフィッシャーの指摘

今回はまず論争の背景を理解するため、メンデルの実験と論争の火種となったフィッシャーの指摘を中心に解説する。

メンデルの実験

メンデルがエンドウの交配実験を始めたのは1856年のことである。ただし、実験材料の選定は1854年から行っていた。実験は8年間続けられ、その結果は1865年のブルノ自然科学研究会の例会にて、2月8日と3月8日の2回にわたり口頭発表された。翌年1866年には研究会の紀要に掲載され、出版された。そのため、1865年/1866年がメンデルの法則発見の年とされることが多い。

まず、メンデルの実験内容と「法則」に関連付けて簡単に説明する。

実験の準備(1854〜)

メンデルは実験に際してまず34のエンドウの品種を種子屋から買い集め、その中から22の品種を選抜して実験に用いた。これはおそらく稔性や形質による選抜と思われるが、理由についてメンデルは明確に記述していない。

これら品種は、さまざまな点で異なった形質を有していたが、そのうちで7つの対立形質が実験のために選定された。

  1. 種子の形の違い: 丸/しわ
  2. 種子(子葉)の色の違い: 黄色/緑色
  3. 種皮の色の違い: 有色/白色(花の色も異なる)
  4. さやの形: くびれなし/くびれあり
  5. 未熟なさやの色: 緑色/黄色
  6. 花の位置(花序): 腋生/頂生
  7. 草丈: 高い/低い

これらの7つの形質のうち、1〜3までは種子の状態で判別できる。ただし、3の種皮の色の違いについては花の色と連動しており、メンデルは実験の種類によって花の色で判別する場合と種皮の色で判別する場合を使い分けている。

1857年の実験(優性の法則)

まずメンデルは対立した形質をもつ系統どうしを交配した雑種を育成した。

この雑種第一代(F₁世代)においては、すべての場合において親の片方の形質のみが現れた。現れた形質を優性形質、現れなかった形質を劣性形質と呼ぶ。

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1858年、1859年の実験(分離の法則)

1858年には前年度に得られたF₁世代の自殖後代(F₂世代)の形質が調査された。その結果、劣性形質を示す個体が1/4の割合で分離してくることが明らかとなった。

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続く1859年には、さらにF₂世代の自殖後代(F₃世代)の形質が調べられた。このとき、F₂世代で劣性形質を示した個体からは必ず劣性形質を示す子孫が生じた(これについてメンデルは結果を述べるのみでデータを示していない)。

F₂世代で優性形質を示した個体については、F₃世代で子孫の形質が3:1に分離するもの(メンデルは「雑種型」と呼んだが、現代で言うヘテロ接合体)と、すべて優性形質を示すもの(メンデルは不変型と呼んだ。ホモ接合体)に分かれた。F₂世代のその比率は2:1であった。

メンデルは、種子の形状(丸/しわ)および子葉の色(緑/黄)についてはF₂世代の各個体すべてから種子を得て、種子の形質から雑種型と不変型の判別をした。残りの形質については、優性形質を示した個体100株を選び、その種子10粒を栽培して雑種型と不変型の判別をした。メンデルは次のように記述している。

以下の実験のすべての場合に、第一代目に優性形質を示した100株の植物を選び、その優性の意味を調べるためにそれぞれの植物からの10粒の種子を播いて育てた。

(メンデル著, 岩槻邦男・須原準平訳『雑種植物の研究』)

ここで、「第一代目」というのは雑種型の自殖後代一代目の意味であり、F₂を指すことに注意してもらいたい。

多数の対立形質の組み合わせ

メンデルは、複数の対立形質について同時に雑種とした場合についても実験を行っている。具体的にデータが示されているのは「種子の形と子葉の色」の2要素を組み合わせた場合と、「種子の形、子葉の色、種皮の色」の3要素を組み合わせた場合の試験である。これらの形質はいずれも種子で判別可能なものであり、「もっとも簡単、確実に目標を達成」できたとメンデルは述べている。

結果として、メンデルはそれぞれの形質が独立に3:1の分離比に従うという結論を出した。すなわち、種子の形と子葉の色であれば、それぞれが3:1で分離するため、形質の4つの組み合わせが9:3:3:1の比率で生ずる、ということを意味する。ここでのメンデルの表現は次のようなものである。

多数の、根本的に異なる形質を併せもっている雑種の子孫は、各対立形質1組に関する展開級数を結合して得られる組合わせ級数の項として表される。これは同時に、1組の対立形質の雑種におけるふるまいは、両親のそれ以外の形質の違いと無関係であることを証明する。

(メンデル著, 岩槻邦男・須原準平訳『雑種植物の研究』)

いわゆる「独立の法則」であるが、これに対する反例として「連鎖」が思い浮かぶ人もいるだろう。実際、メンデルが採用した7つの形質のうちいくつかは連鎖している。しかし、メンデルは連鎖についてその可能性に言及していない。これについてはまた後日取り上げる。

フィッシャーの指摘

フィッシャーによる指摘は"Has Mendel's Work Been Rediscovered?"と題された1936年の論文にある。ただし、メンデルのデータに対する指摘はこれが最初ではなく、またフィッシャー自身による指摘もこれが最初ではない。しかし、詳細な検討を行って疑問を明確に提示したのは1936年の論文であり、後に発生する論争の火種となったのも主にはこの論文が原因である。したがって、この論文におけるフィッシャーの指摘を紹介する。

フィッシャーによる指摘の要点は2つある。

  1. 分離比が2:1ではなく1.7:1になるべき実験があるが、メンデルのデータは2:1に近接している。
  2. データが全体として理論値に一致しすぎている。

この2点はときどき混同して語られる。内容的に類似する部分もあるのだが、性質は異なる。それぞれ別の問題として把握しておくことは重要である。

特に前者については、現実的に無理のないいくつかの仮定をおくことで、ある程度容易に否定する仮説を構築できる。ゆえに、この問題の否定をもって「メンデルに対する疑念は解消された」としてしまう、あるいはそのように読めるような解説となってしまっている例は少なくない。

しかし、前者の問題が解決できても、後者の問題が同時に解決するわけではない。むしろ、後者の問題の方がやっかいである。それぞれ説明する。

「2:1ではなく1.7:1になるべき」

これは、いわゆる「分離の法則」が示された実験のうち、1859年の実験についての指摘である。ここでは、F₂世代で優性形質を示した個体のうち100個体について雑種型であるか不変型であるかが調べられ、それが2:1に分離するという結論が得られたのであった。

このときメンデルは種子で調査しなかった、できなかった形質について、個体ごとに10個の種子を播種して調査したと述べている。これがフィッシャーの指摘につながる。

雑種型の子孫は、1858年の試験から分かるように、3/4の確率で優性形質を示すのである。10個体を調べた場合、そのすべてが偶然に優性形質を示してしまう確率は、3/4^{10} \sim 5.6\%も存在するのである。

すなわち、メンデルの調べ方では雑種型のうち約5.6%が不変型と誤認される。つまり、

  • 雑種型と判断される... 2 × (1 - 0.0563) = 1.8874
  • 不変型と判断される... 1 + 2 × 0.0563 = 1.1126

であり、1.8874:1.1126\sim1.7:1になるべき、ということである。しかしながら、メンデルのデータは1.7:1よりも、理論が予測する期待値である2:1に非常に近い、これはおかしい、というのがフィッシャーの指摘である。

「データが理論値に一致しすぎている」

いったん、「1.7:1問題」はなかったとしよう。それでもなおデータには疑わしい点がある、というのがこちらの指摘である。そもそも、初期の指摘はこちらであった。Weldon(1902)は1858年の実験、すなわちF₂世代の分離比のデータをまとめ、χ²値を用いた分析により「このようなデータが得られる確率は1/16である」という旨のコメントを残している(これはχ²分析の最初期の応用とも考えられている)。Weldonがメンデルのデータを不正と考えていたかどうかは不明である。その後、フィッシャーも1911年の優生学会でWeldonと同様のコメントをしている。

1936年の分析ではフィッシャーは可能な限りデータを整理し、分割できるデータは分割し、論文全体としてより大きな自由度のもとでデータを再度検討している。その結果として、「メンデルのデータよりもよい結果が得られる確率は7/100,000である」という結果を導いている。

以上2つがフィッシャーの指摘の概略である。これらの分析結果にもとづいてフィッシャーは「すべてではないにしても、ほとんどの実験データがメンデルの期待に非常によく一致するよう曲げられている」とコメントを残したのである。フィッシャーは自らの指摘した内容についてメンデルの責任に帰することを好まなかった。結果として、フィッシャーはメンデルの助手がデータ操作を行った可能性を示唆した。

その後の論争

メンデルの法則が発見後しばらくあまり注目されず、1900年になって「再発見」されたことはよく知られている。同様に、フィッシャーの指摘も発表後しばらくはそれほど強い注目を受けることはなかった。しかし、1965年、メンデルの発表から100周年ということで一連の関連する記事が続々と発表されると、その中でフィッシャーの指摘が注目をあつめ、現代まで続く「論争」の火種となったのである。

さて、今回はメンデルによる実験の概要と、フィッシャーによる指摘についてある程度の説明をした。次回はフィッシャーの2つの指摘のうち、まずは「1:1.7問題」について、フィッシャーが指摘したような問題は実は無かった可能性が高い、という点について説明したいと思う。

参考文献

  • イリアム・ブロード, ニコラス・ウェイド著, 牧野賢治訳, (2014). 背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか? (講談社)
  • メンデル著, 岩槻邦男・須原準平訳, (1999). 雑種植物の研究 (岩波文庫)
    • メンデルによる研究成果の発表内容の日本語訳である。この問題を考える上で欠かせない文献であるというのに加え、メンデルの記述は明確で一貫しており、実験に対する姿勢も含め、現代からみても参考になる部分が多い書籍である。フィッシャーがメンデルを尊敬していたであろうこと、自身の分析結果に衝撃を受けたであろうことが容易に想像できる。
  • 長田敏行, (2017). メンデルの軌跡を訪ねる旅 (シリーズ・生命の神秘と不思議) (裳華房)
    • 近年書かれたメンデルについての日本語の伝記として非常に詳しい。メンデルの生涯についてのみならず、実験内容や扱った形質についても詳しい解説があり、遺伝形質についての解説が正確である(後の回で取り上げるが、最近の文献でも不正確なものが存在している)。