湿度諸量の計算法(3) - 蒸発と飽差と飽差みたいな値 -

今回一番説明したかったのは絶対湿度とモル分率で残りは割とどうでもいいのだが、蒸発に関わる湿度量を無視するのはいくらなんでもアレなので説明しよう。

1. 蒸発とは

水蒸気の移動という視点から見てみると、蒸発というのは液面から空気中への水蒸気の拡散現象にほかならない。
水蒸気の分子量は約18g/molで、空気の平均分子量は約29g/molであるため、水面からある程度以上の高さでは水蒸気の浮力による乱流が発生し、湿度分布は一定となる。しかし、水面近傍には空気の粘性により乱流が発生しない領域がある。この領域の中を水蒸気は拡散によって移動する。この領域を拡散層と呼ぶ。蒸発速度を支配するのが拡散層である。
拡散による物質の移動は濃度勾配に比例する。蒸発速度は拡散層内の水蒸気密度勾配に比例する。このことから、蒸発を制御するパラメータとしては以下の3つの影響が大きいと分かる。

  • 水温:水温が高いほど水面上の水蒸気圧が高くなるため、濃度勾配が大きくなる。
  • 外気絶対湿度:絶対湿度=水蒸気密度であるため、絶対湿度が低いほど濃度勾配が大きくなる。
  • 風速:風速が大きいと拡散層が乱され、薄くなる。結果として濃度勾配が大きくなる。

このうち特に影響の大きいのは外気絶対湿度と風速である。湯が早く蒸発することから水温の影響は大きいように見えるが、通常の気温の範囲ではあまり影響がない。
単位時間あたり、単位面積あたりの蒸発速度をとすると、風速が0.5m/s以上での蒸発速度は

で近似できる。は風速(m/s)、は飽和水蒸気圧、は水蒸気圧である。空気の絶対湿度と水面上の絶対湿度の差は圧力の形で表されている。これが後述する飽差である。
なお、蒸発速度は厳密には単位時間あたり、単位面積あたり、単位飽差あたりであり、単位はg/(m2・h・hPa)である。要するに風速が倍になれば蒸発速度は倍になるし、飽差が倍になっても蒸発速度は倍になる
蒸発についてはここではこれ以上立ち入らない。詳しくは参考文献にあげた上田(2000)などを参照のこと。

2. 飽差(Vapour Pressure DificitDeficit: VPD)

先に出してしまったが、蒸発速度に関して風速と同じくらい重要なパラメータであるのが飽差である。飽差の定義は以下のとおり。

湿り空気の水蒸気圧と、同じ温度の飽和水蒸気圧の差()。

単位はhPa等の圧力の単位。と同じ単位を用いる。
前回までに飽和水蒸気圧も水蒸気圧も計算できるようになっているので、気温と相対湿度さえ分かれば計算は簡単である。Rで定義すると、

vpd <- function(t, U){
  ## 入力:t…気温(℃)、U…相対湿度(%)
  ## 出力:飽差(hPa)
  GofGra(t) * (1 - U/100)
}

GofGraは温度tでの飽和水蒸気圧を求める関数である。
25℃、50%RHの条件下で15.8hPa。

3. 飽差?(Humidity Deficit: HD)

昨今、おそらく次のような定義と思われる値が園芸分野を中心に飽差と呼ばれている。

湿り空気の絶対湿度と同じ温度で水蒸気飽和状態にある空気の絶対湿度の差()。

英語でHumidity Deficit(HD)と呼ばれている値(HDの単位はmg/Lが良く使われるようだが)とほぼ等しいので、ここではとりあえずHDと呼ぼう。
単位はg/m3となる。絶対湿度も前回までに計算できるようになっているのでRで定義すると、

w.dif <- function(t, U){
  ## 入力:t…気温(℃)、U…相対湿度(%)
  ## 出力:飽差?(g/m^3)
  abs.hum(t, 100) - abs.hum(t, U)
}

abs.humは温度t℃、相対湿度U%での絶対湿度(g/m3)を求める関数である。
25℃、50%RHの条件下で11.5g/m3
絶対湿度は定義から分かるように同じ水蒸気圧でも温度が高いほど小さくなる。同じ量の水蒸気でも温度が高いと圧力が高くなるからだ。
よってHDの値は温度が高いほど相対的に小さくなる。
しかし、温度が0〜40℃くらいの範囲であれば温度の影響はそれほど大きくなく、水蒸気圧(hPa)の約0.7〜0.8倍が絶対湿度(g/m3)である。
飽差とHDの関係も同じであり、HDも飽差の0.7〜0.8倍の値である。要するに、HDも蒸発量の指標に使える。
とはいえやはりHDはHDであって飽差ではない。
HDは直感的には理解しやすい。HDの定義を言い換えれば

1m3の空気の中にあと何gの水蒸気を含むことができるか?

である。

この部屋の空気の中にあと何hPaの水蒸気を含むことができるか?

よりも圧倒的にイメージしやすい。
おそらく語訳が定まっていなかったので「飽差」としてしまったのだと思うが、このままでは、飽差(VDP)と飽差(HD)が出来てしまう。正直名前は別にして欲しかった。
しかしおそらくもう手遅れである。ヤフー知恵袋の回答に出てきたし、新聞も載ってしまったし、トマトの栽培指標にも使われているし、大学教授の発表スライドにも出てきているし、園芸資材メーカーのHPにも載っているし、まあとにかくもう手遅れである。
工学分野とその他の分野の「絶対湿度」のように、「園芸分野で言うところの飽差(HD)」と「その他の分野で言うところの飽差(VPD)」が混在するよく分からない世界になっていくのだろう。というかもうなっている。
まあ飽差(HD)と飽差(VPD)は上述の通り大して差のない値なので、参考にするくらいならそんなに問題はない。というか、実際のところ飽差(HD)と飽差(VPD)のどちらが蒸発速度の指標として適切なのかよく分からない。
温度が高くなると同じ圧力でも水蒸気の密度が薄くなるのだから、飽差(VPD)は蒸発速度に対して大きくなるような気がするが、温度が上がると拡散係数が大きくなって蒸発速度が大きくなるという関係もあるので、一概には言えない。
まあ計算すれば分かるのかもしれないが、今日は眠いのでまた今度。

参考文献まとめ